20世紀の巨匠、エルテの原点と軌跡
エルテは1892年ロシアのペテルスブルグで生まれた。本名はロマン・ド・ティルトフ。父親ピョートルはロシア帝国海軍提督で、代々海軍高官という貴族上流階級の家系であった。当時のロシア帝国海軍といえば大国ロシアで最も重要で栄誉ある存在。エルテは、その父親の期待を背負うべき一人息子であったが、幼い頃から病弱だったエルテはロシア民話やギリシア神話、そして母や姉の読んでいたファッション雑誌やバレエの本にも夢中だったという。この幼少期の家庭環境がエルテの中で美に対する幻想的な価値観や空想を刺激する温床となったといっても過言ではないだろう。エルテが6歳のときに母親のためにドレスのデザインを描き、愛情深い母親は、幼いエルテがデザインしたドレスを実際に作ったという。何不自由のない裕福な家庭環境、ファッションやオペラに夢中でエレガントな美しい母と姉。エルテの創作の原点はここにある。
エルテは20歳でパリへ渡る。そして、パリでのロシアブームに後押しされるがままにファッションデザインや舞台美術、著名な雑誌に作品を提供、時代の寵児となる。1915年にはアメリカのファッション雑誌「ハーパース・バザール」の表紙を飾る。当時アメリカにとって、パリはモードの最先端をいく憧れの地。フランス在住のロシア人アーティストという彼にとっては偶然に過ぎないブランドがエルテの名声を一気に押し上げた。1925年以降、パリから発信されたアールデコのうねりは、好景気に沸くアメリカで狂乱の時を迎える。
エルテは20世紀を代表するアールデコの巨匠といわれているが、エルテ自身はそれを認めていない。あくまで、自分の作品は個人的なもので、誰かの模倣でも、誰かの影響によるものではないとの主張だ。
エルテのモチーフは、常に女性である。エルテの作品には、男性原理に基づく強権性や支配性、攻撃性はまったくみられないばかりか単に女性の肉体を素材としたフェティシズムの匂いもない。女性への深い愛情、美しさ、優しさ、強さ、しなやかさを自由に謳いあげるオマージュそのものと言える。
少年の憧憬のように純粋で、力強い独自の視点で描かれた女性たちは優雅なポーズで、甘く切ない物語のひとひらの、一瞬の艶やかさ、儚さを見事に映し出している。
彼は美しい夢と妄想に満ちた耽美の世界を忠実に再現し、美しい母と姉に対する永遠の憧れをベースに、幼き日に芽生えた無邪気な愛を、非現実世界の中で表現し続けた。世俗的な動機は、そこに一切はさまれる余地がない。
トップアーティストとして、約70年にわたり、活躍し続けたエルテ。だが、彼の創作活動は晩年になっても衰えは見られなかった。洗練と深度を増しつつ、不変の姿勢を貫きながら、孤高の個人主義的芸術を生涯かけて追究したのだ。エルテが本人の意思とは無関係に「アールデコの父」と呼ばれる所以はここにある。メゾンドミュゼは世界一のエルテ作品保有数を誇るが、時空を超えた彼の耽美なる幻想世界を覗きこむことができるのは私たちにとってあり難き幸いである。